6月16日(日)宮崎フォークビレッジで「無流アコースティックライブ」やってきました。

聞きに来られた中に、若山牧水を研究する歌人伊藤一彦先生の門下生がおられました。

私の「人間はみんな」がお気に入りだということで、和歌三連作に仕立ててくれました。

ご自身の歌会で発表されるそうです。


一. ひとはみな紙でできてる悲しみの涙に濡れて心破れる

二. ひとはみな糸でできてる重圧に耐えようとして心ちぎれる

三. ひとはみな水でできてる汚(けが)れたる人を洗いて心濁らす


(「人間はみんな」のYoutubeURL:https://www.youtube.com/watch?v=cuCjmQrNFPY)


私の返歌

夢持てば悲しみ忘る孤白雲鳥も無き夜の海を渡れど

短歌との出会い(教科書でも出会いますが)

中学から高校まで家の斜め裏の丸山十郎先生に英語を習っていました。十郎先生は若くして亡くなりましたが、エール大学卒、柔道二段空手二段の英俊でした。

十郎先生が私に短歌の自選集を見せてくれたことがありました。二十首ほどの自選集でしたがその中で若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まず漂ふ」と石川啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」は私の心に留まりました。

ちょっと横道ですが、啄木のこの歌の解説では「蟹」とは「短歌」の身代わりで「泣きながらも短歌を作っている」とか「蟹」に特に意味はないという解釈が定説のようですが、十郎先生の解釈では「蟹は前に歩けないだろ、その蟹に真っ直ぐ歩けない自分(素直でない自分)を重ねて涙が出るという歌なんだ。」でした。

私が最も気に入ったのは牧水の白鳥の歌でした。

実は作者の若山牧水については何も知らなかったのですが、数年前仕事で宮崎に行った帰りに空港で歌人伊藤一彦という方と俳優の堺雅人さんの対談本が目に留まり思わず買ってしまいました。

「ぼく、牧水!歌人に学ぶ「まろび」の美学」という本でした。伊藤一彦さんは歌人で牧水の研究家、また堺雅人さんはその教え子だということです。そして三人とも早稲田大学OBです。私は早稲田大学を受験したことがありました、ニアミスですね。

牧水は宮崎県日向の生まれ、早稲田大学に入ってからはほとんど関東で過ごしたようです。私は千葉市に二十年近く住んでいますが、牧水は房総半島が好きで何度も旅したことを知りました。昨年には私も南房を訪れ「白鳥は・・」の歌碑を訪ねたりしました。

沼津には「若山牧水記念館」があるそうです。今度行ってみよう。

宮崎には仕事で何十回も行きました、日向にもよく行きました。それだけのことですが。

牧水は明治半ばから昭和初期にかけて、欧米列強と対峙する我国にとって当時どうでもいいような短歌ばかりを歌った歌人です。学生運動が盛んなときに「傘がない」とうたった陽水のようなものですかね?!だから人気あったんですね。

実はわたくしもそんな風に飄々と生きたかったと思います。

牧水は大酒飲みで、死んだときにはアルコール漬け状態だったそうです。幸せですね!?

3月3日(日) JR甲子園口UncleJamでの3回目のライブをお知らせします。

おっと、その前に昨年Uncle Jamに来られた方、有難うございました。

≪ライブ概要≫

日時 : 3月3日(日) Open 16:00、 Start 17:00

場所 : Live & Bar Uncle Jam

チャージ : ¥2,500(2ドリンク別)

http://www.uncle-jam.jp/


前回同様に全曲オリジナルです。前回歌わなかった曲もくつか歌います。

中休みにカバー曲をやろうと思います。

Comp8の方、そうでない方もお越しください。

無流YuzoのYoutube

https://www.youtube.com/watch?v=c7OTke44WTU

https://www.youtube.com/watch?v=RLpWU9qABog

https://www.youtube.com/watch?v=-zdefmg473M

https://www.youtube.com/watch?v=RFXhNjunCPQ

https://www.youtube.com/watch?v=nrOupH2R5VQ

無流Yuzoのサイト

https://muryu-yuzo.amebaownd.com/

僕にとって歌は音楽。だから、リズムだけではなくメロディーを駆使して欲しい。

そしてそこに歌詞という+αがあるのかも。僕たちが洋楽を聞いていいなぁと思うなら、歌詞は二次的なものかもしれない。

そうかメロディーの工夫が足りないのか。

曲は歌詞を伝える大事な要素だから、歌詞がわからなくても「いいな」と思う洋楽は素晴らしいのかも。

ラップは俳句、歌は短歌、クラシックは詩、交響曲は長歌かな。

俳句は下の句がないので落ちがつけにくいというか、言いたいことが伝わらないような気がする。

聞く人が創造力を豊かに働かせてくれればいいけれど、リズム主体では想像力を一方向に引き付けてしまう気がする。

つまりそれは自由な想像ではなく、想像力の誘導のように思う。

俺はラップは好きかもしれないけどね。神戸東灘の住吉神社の前で育ったからね。住吉神社のだんじり祭りはまるでラップの祭りだね。Wordsはないけどね。

住吉神社の祭りについては反省がある。大学の時に従兄兄弟が住吉吉田区のだんじりを仕切っていて、屋根に乗らないかと言われたんだけど、親父に話したら「何のためにおまえを育ててきたんだ」と言われやめたことがある。


だんじりから落ちて時々死んでるからな。

幼いころは住吉で育ち、俺はほとんど住吉人間なんだけど。いや半分は裏六甲人間だけど。

だから関東はやっぱり合わへんな。

【酔っ払って足首の腓骨を骨折】

なんと情けない、右足首の腓骨(細い方の骨)を折ってしまいました。


6月16日(土)JR甲子園口UncleJamでライブをおこなうため、13日(水)千葉から大阪へ。

深夜を回った頃、私は十三の飲み屋街にいました。明日、明後日は施設にいる両親を見舞うだけ、酔うためにもう一軒行くことにしました。


店を出ると階段だった。「ああ、階段だったのだ!入る時はなんとも思わなかったが」と思いながら四五段降りるところまでで記憶は途切れ、ただ意識が途切れたわけではなくホテルまでちゃんと帰り着き寝たのです。


明け方4時頃でしょうか、目が覚めると右足首が相当に痛いことに気づきました。正しくは「どうしようもないほどの右足首の痛みで目が覚めた」でしょうか。捻挫かなと思い水でしばらく冷やし、また床に就き朝起きてみるとやはり相当に痛いのです。

しかし過去の経験から捻挫だろう、びっこを引きながら歩けるし、折れてることはないだろうと思い、ホテルを出て駅に向かいました。


6月14日(木)兄のアドバイスで北神戸のクリニックへ、病院に来たからにはちゃんと診断してもらわないと意味がない、ということでレントゲンをとってもらったところ、右足首腓骨骨折と診断されました。


わかりにくいですが、細いほうの骨がくるぶし辺りで折れています。

正常な位置から2mmほどズレているそうです。

クリニックでは松葉杖を持って行けと言われたが、週末千葉に帰るときには返してくれということで、「なんだ肝心な大移動の時には返せと言うことか」ということで松葉杖を断り、週末までびっこを引きながら過ごしました。


足が動かない分手と口が動いたのか、なんとかライブも上々でした。


ライブの後は怪我から三日経ちびっこも随分軽くなっていたので、十三のホテルに着いてもう一杯ということで行っちゃいました。


【専門医の診断】

さて千葉に帰った翌月曜日、市内の病院の整形外科に行きました。

クリニックの紹介状を持っていったので、診断の前に医師や看護師は怪我の内容を知っていました。

僕が少しびっこを引きながら診断室に入っていくと、医師も看護士もニヤニヤというか、堪えられない笑いが漏れるというか、変な笑いを浮かべていました。


「ハハ、骨が折れてるのに歩いてる・・」

「ハハ、こんな鈍感な人もいるんだ・・」

こんなところですかね。


改めてレントゲンを撮ってもらって、腓骨骨折を10段階に分けた模式図を見ながら軽いほうから4つ目だという診断。


医師の推奨した治療は「折れた部分を元の位置に戻しチタンプレートで固定する」というものです。

北神戸のクリニックの見立ては「この程度のずれならこのままくっ付いても問題ない」というものでした。


果たしてこのままくっ付いてもいいのか?と言うのがクリニックに行ってからの疑問だったので、質問してみました。

このままくっつくと、歩くたびに頚骨(脚の太いほうの骨)と足の骨がずれて軟骨が磨り減り、将来痛みが出ると言うことでした。


さすがに専門医、この説明を聞いてすぐに手術を決めました。


因みに、プレートをつけたままでむしろ強度が増すそうで、治ればスポーツもガンガンできるとのこと。


【手術】

さあ、20日の夕方になり手術です。下半身麻酔をするということです。

手術に関して全く心配はしていなかったのですが、当日は若干様子が違いました。


手術を担当する医師は、若めの医師と初老の医師の二人でした。

手術の先生は帽子とマスクをしており、若い方の医師が主治医のF先生かどうかわからないのです。


僕の怪我のことを最もよく知っているF先生はいるのだろうか?


もう一人の初老の男性医師は帽子の端から白髪がはみ出ており、こんなのでいいのかなという気がしました。僕は感染症予防で足を剃られたのに。


さて手術が始まろうとしました。看護士の一人が、「麻酔は誰がするんですか」ときき、初老の男性が「私だ」と答える。


「え、そんな手筈が決まってなかったの・・」と思う僕


次に看護士が「横になってもらいますが、患部の右が上ですね?」と聞くと、初老の医師は


「いや、左が上だ」と答えた。


「よくある手術と聞いていたのに、なんで?」と思う僕


手術後、若い方の医師に「F先生ですか?」と聞くと、マスクをはずし「そうです」、やっと一安心。


後日聞いたところでは、初老の医師は麻酔専門医だということでしたが。素直に頷けないことですが。


手術のあとはこんな傷です。十三針です。

中はこうなっています。右側のチタンプレートを7本のビスで留めています。

【術後】

病室にもどり自分の下半身を触ってみると三倍に膨れ上がったように感じます。

手の感覚は正常だし、勿論僕の身体が膨れ上がったわけではないので、人間が自分の身体を触ったときは、実は触った手と触られた部位の両方の情報を組み合わせて脳が認識するのだなと思いました。


脚は、上に放り上げたような感覚になってましたが、勿論ベッドにべたっと横たわったままです。


【退院、脳脊髄液減少症】

21日(木)の昼ごろ退院し松葉杖をついて病院を出たときです、眉間から両目の中ほどにかけて、手で強く押さえたくなるような痛みを感じました。

一瞬どうしようかと思ったけれど、三日間の入院のせいかなと思い自宅に帰り着きました。


依然として痛むので横になると暫くで痛みが引くのです。治ったかなと思って頭を上げて暫くすると同じ症状が出るのです。


ネットで調べたところ脳脊髄液減少症という症状にすっぽり当てはまっていました。

下半身麻酔をしたところから髄液が脊髄の外にもれ、髄液の上に浮いている脳の位置が下がり、上頭部が下に引っ張られることで頭痛が起こると言うことです。


下半身麻酔後にしばしば見られる症状らしいですが、事前に説明はありませんでした。


ネットでは、この症状は麻酔針の進歩と医師のレベルアップにより、最近では発生頻度5%以下と低くなっているようです。


運悪く5%に入ってしまったのでしょうか。


中には医療ミスだと騒ぎ立てる人もいるようです。


症状の改善には経口保水液が効果的ということで、大塚のOS-1を1日に3パックほど飲み、術後6日目の6月26日(火)に症状はほぼなくなりました。


整形外科の部長に後日このことを伝えると、「麻酔後にはよくあることです、特に若い人には」と言われました。


これも素直に頷けない。


よくあることなら手術に関するリスク・注意事項に何で書いていない?


【抜糸】

6月29日、レントゲンで確認後、抜糸です。

抜糸といっても、患部は力士貴ノ岩の頭部のようにホッチキスで留めていたので「抜チキス」ですね。


麻酔についてネットで調べたときに、抜糸には「浸透麻酔」と言うのを使うと書いてあったけど、なんと麻酔無しでした。


まあ、”注射の超下手くそな看護師さんが、太い注射針2本を同時に足首に突き刺した”という状況を想像してみてください。


さらにそれを13回たて続けにやったということですが。


【その後】

まだ一週間は体重を通常の半分かけるだけということで、松葉杖ですごしました。


本当は松葉杖二本だったのですが、面倒なので一本ですごしました。

一本と二本では階段の上り下りがずいぶん違います。


7月4日、再びレントゲンでチェックして松葉杖無しでOKとなりました。

但し一週間は大人しく、その後は痛くなければスポーツでもなんでもOKということです。


【リハビリテーション】

手術の翌日からリハビリを開始しました。

足首が曲がりにくくなる人が多いと聞いていましたが、私の場合は空手をやっていたからか問題ありませんでした。


一週間経って腫れが軽くなると殆ど元通りに動くようになりました。歩くのはちろん、空手の前屈立ちがちゃんとできるまで曲がるようになりました。


また、右足は左足に比べて若干細くなりましたが、松葉杖はなくても不自由はなくなりました。


さあ、空手の稽古再開だ!


【コミュニケーション】

この病院はしっかりしていると思うけど、コミュニケーションがよくないな。

麻酔後の頭痛の件も訊かないと言ってくれなかったし。

看護師やリハビリ師にも医者から情報が伝わっていないんだ。

イントラネットとかないんだろうか?


手術後は右足首に包帯を巻いていたので、さあ退院というときに「風呂は入れないんですね」と聞いたら、看護師がバタバタし始めたのだ。


「主治医に確認しています」ということで、結局包帯ははずしてサージテープを貼り、毎日はがしてシャワーをしてもよいと言うことだった。


最初の診断時に主治医から「手術直後から足首を動かすリハビリをはじめ、一週間で半分体重をかける練習、二週間で普通に体重をかけて歩く練習をする。」と言われたのに、リハビリ師は主治医から何も聞いていないという。


主治医の指示がないとそんなハイペースでできないと言われ、その日主治医は休みだったので改めて病院まで来ることになった。


【重度の捻挫はガンガン冷やそう】

北神戸のクリニックでは「とにかくガンガン長時間冷やせと」言われた。

僕の知識では、打撲・捻挫など冷やしすぎも良くない、冷水で3~5分ぐらいと思っていたので、どれぐらいかと改めて聞くと「氷で2・3時間」と言われた。


冷やしすぎじゃないかと思いながらも、少し絞った濡れタオルを凍らせて断続的に5時間ほど冷やしました。


効いた。


クリニックの指示は正しいと思った。

クリニックの説明では、関節の怪我の後遺症は骨よりも靭帯など骨の周辺に出るので、まず冷やして早く周辺の炎症を抑えることが重要と言うことです。


重度の捻挫のときはこれですね。

5月16日(水)妻と奥湯河原を観光、源頼朝が身を隠したという「しとどの窟」という場所に行ってみた。

妻の写真を撮ってやるということで窟に向かってスマホを構えると、天空から一条の青い光りが!

窟から流れ出る湿った空気がプリズムの役目を果たして虹が見えたのだろう。

そしてアングルを少し工夫してみると、こんな写真が撮れました。

天からの光りが木の葉の隙を縫って、妻を地上に降ろし賜うた!!

おまけに後光まで!!!(ええい、何様じゃ)


ほんの10㎝ぐらいのずれで虹がほとんど見えなくなってしまうという稀なアングルを、偶然見つけたのでした。

日差しの角度や空気の状況を考えると二度と撮れない写真だろう。


「どこなんだ??」とか言いながら、僕もやっと撮ってもらいました。

天から降りてきた感はないな。

ええとこ「天に上れない!」っていう感じかな。

5月15日(火)に千葉を出て車で藤沢、平塚、大磯、奥湯河原へと行き、奥湯河原で一泊。

16日(水)は奥湯河原の山道を越えて箱根ターンパイクで小田原へ。


平塚では父が昔勤務していたいう富士チタン平塚工場を訪問。60年程前の工場をそのまま使っているという文化遺産のような会社です。


大磯では旧吉田茂邸を訪問。麻生さんの爺さんはえらい金持ちですわ。


小田原では、小田原城と石垣山城(一夜城)を観光。

石垣山城は、小田原の軍勢を驚かすための城だから張子みたいなもんだろうと思っていたら、関東初の総石垣による城で本格的な城郭を備えていたということだ。現地に行けばすぐにわかる。

関東大震災で大きな被害を受けたのが残念だ。


6月16日(土)JR甲子園口UncleJamでの2回目のライブをお知らせします。

おっと、その前に、2月10日にUncle Jamに来られた方、有難うございました。

今度も前回同様に全曲オリジナルですが、前回歌わなかった曲を5曲ほど歌います。

≪ライブ概要≫

中身 : 無流Yuzo ソロライブ

日時 : 6月16日(土) Open 17:00、 Start 18:00

場所 : Live & Bar Uncle Jam (JR甲子園口)

チャージ : ¥2,000(2ドリンク別)

http://www.uncle-jam.jp/


歌!ギター! 練習していますよ。

ギターも歌もうまくなりました。


ギターの右手のフォーム変えました。

ギターの左手のフォーム変えました。


声の音程をとるのに喉の使い方を変えました。

舌の位置を変えました。


ブルースハープを吹くときの息の量を変えました。

ブルースハープを買い換えました。ミッキー大野さんのアドバイスです。


なんや、全部変えとるやんか。それまで何しとったんや?


Comp8の方、そうでない方も来てください。


無流YuzoのYoutube

https://www.youtube.com/watch?v=c7OTke44WTU

https://www.youtube.com/watch?v=-zdefmg473M


無流Yuzoのサイト

https://muryu-yuzo.amebaownd.com/

下らない話を一席。


【無理を聞いてくれる仕立て屋】

岩手県盛岡市にどんな無理な注文でも応じてくれる洋服の仕立て屋さんがありました。

石川啄木新婚の家の斜め向かい辺りです。

まあ、写真を見てください。


【どっちやネン!?】

待ち合わせの場所は東口やったっけ?西口やったっけ?

まあええわ、どっちにしろここでエエみたいや。

それはそやけど、東口か西口か、どっちやネン!?

これはね、確かJR岡山の新幹線専用改札口です。


【人生は冒険旅行】

「人生は冒険旅行」なんてことを言うそうですが、冒険旅行に出かけるのも大変です。

たいそうお金がかかりそうだし。

でも、身近なところにも冒険がありました。それも大冒険です。


【美味しそう?!】

伊良湖の居酒屋です。美味しそうなものが並んでいます。

特におすすめ?が・・

【犬と人間の違い】

もし腹をすかせた犬を拾って不自由なく暮らせるようにしてやれば、噛んだりしないものだ。これが犬と人間の根本的な違いである。 -マークトウェイン-

犬は、時に人とは異なり誠実な生き物として称えられる。

犬は、時に人以上に優遇される。

「不衛生につき用便はご遠慮ください。(但し犬は例外です)」と書かれています。

長崎県交通産業会館だったと思います。

好きな宮崎に愛をこめて、宮崎編を作りました。

というか、宮崎はネタが多いかもしれない。


【そのままやんか!Ⅰ】

若草通りにある服屋さんです。



【そのままやんか!Ⅱ】

若草通り近くの自転車やさんです。

ブリジストンの自転車で”ノルコグ”と言うのがあるようだが。



【怖くて入れない!】

アートセンターの近くのラーメン屋さんのようです。

敷居でも踏んだらやばいな

ネットで検索すると、テレビCMもやってるし評判もいいみたい。

入ってみればよかったな。



【関西人にはなんとなく怖い店!】

一番外からすぐのところにあるダーツとビリヤードがあるお店のようです。

関西人はちょっと考えてしまうのでは。

ボッてと言いながら、ボラれるんとちゃうか!?



【世界最古のガッツポーズ】

宮崎神宮の石像です。

さすが宮崎は神話の国、世界最古、少なくとも日本最古のガッツポーズでしょう。

で、勝ったのは右か左かどちらでしょうか?


【いやまあ・・】

宮崎市内の某中古車屋さんの敷地にあります。

ミッキー大野さんの車から撮りました。

宮崎星人?  いや、解説不能です。

それでも出ました、ミッキー節

「ここで車買うやつ、おらんじゃろ」(宮崎弁、いや広島弁かな)


【ビリケンさん増殖中!】

僕の感触では、日本中でビリケンさんが増殖しています。

宮崎の中央通に「串揚げ ビリケン」という店があります。

確かビリケンさんの像もあったはずですが、この四月に行ったときには気がつきませんでした。

会社が潰れると歌ができ、地震がおこると曲ができる。

どうも人間というものは平坦な道ばかり歩いていると心もノッペリとなるようでよくない。


そうは言ってもこの何十年かの世界は非道いな、各地で戦争・テロ、日本の上空をミサイルが飛び越え、国内各地で地震・噴火。


まだまだ続きそうだから・・、作った歌を歌っていくことにしよう。


こんな風に歌が出来ていきました。


でもきっかけは違うんです。

十年ほど前まで六本木の芋洗坂を下りたところに「バックステージ」というライブハウスがありました。

そこでEクラプトンやスティービーワンダーなんかのカバーをやった時のことです、客の一人が「面白い人がいるぞ、Eクラプトンとかそっくりに演奏するんだよ\^^/」と半ば馬鹿にしたように言ったのです。

そいつは確かにまずまずのオリジナルソングを歌っていました。


カチンと来ましたね。「オリジナルを作ってやろーじゃねーか」そう思いましたね。


それから数年間、いつも小さなノート持ち歩き、通勤電車の中でもご飯を食べながらでも曲のことを考え、歌詞やメロディーを思いついてはノートに書き込み曲を作っていきました。

大変な労力が要ります。すっとできるときもありますが、アイデア1%努力99%という曲もあり。


でも、いい曲が随分出来たなと思います。


自分でいいと思うのは当然かもしれません。と言うのは、人前で歌おうとする曲ですから、人前で歌えるぐらいのいい曲だなと思わないと完成しません。


怖いのは勘違いですね。自分ではいい曲だと思っても、他人の感覚とはズレているかもしれない。


でも、自分ではいい曲ばかりが出来たと思い、回りの人にも聞いてもらいました。いい曲だと言うひとが予想以上に多くいるように思います。


神様が「歌え、他人に伝えろ」と言っているような気がして、これからも歌っていきたいと思います。


「バックステージ」のマスターは残念ながらなくなってしまいました。

昔「99’ers」というソールバンドでドラムを叩いていたそうです。


奥さんがとてもいい人で、健在だったらもう一度会いたいなと思います。


何かご存知の方は情報をください。

ブログと言うものを初めて書こうとしています。

何事も初めてというのは勇気がいるものです。何をかいたらいいのかわからない、書いても読んでくれる人はいるのか?つまらないと思われるんじゃないか、など消極的なことを考えてしまう。


ブログをはじめた人はみんな最初そうだったのかな?やめとけばよかったかな?とまた考えてしまう。


しかし、弾き語りライブをやっていると、まだまだ小数だが、僕のことをよく知らない人や僕に会ったこともないのに来てくれる人がいます。


今はネット社会だから、そういう人たちは僕のブログとかHPを検索したかもしれません。

そう考えると、少し自分のことを書き参考情報を提供しないことには失礼であると思います。


それに、ブログを作ると決めてしまうと、お調子者なので、”さて何を書こうかな”とウキウキする気持ちもないでもない。


まあ何か書いたときには読んでください。